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第50回 小林道夫チェンバロ演奏会

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲

日時 2022年8月29日(月)14時(13時15分開場)
会場 東京文化会館小ホール(東京・上野)
料金 全指定席 ¥5,000
曲目 J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲 BWV988

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  ミリオンコンサート協会 TEL.03-3501-5638

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第50回 小林道夫チェンバロ演奏会 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲・チラシ

第50回 小林道夫チェンバロ演奏会 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲・チラシ

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音楽と数学


 バッハは、ミツラーが1738年に創始した音楽学術協会に14番目の会員として入会し、ハウスマンに肖像画を画かせて贈り、会員達にはゴルトベルク変奏曲の低音主題の開始部分を主題にした6声部の謎カノンを配ったことが知られています。ミツラーはバッハより11才年下で、ライプツィヒ大学で哲学と数学を学び、博士論文は「音楽芸術は哲学の一部分か否か」で、彼はそれをバッハとマッテゾンに贈ったということです。卒業後、大学に残った彼は数学と哲学の他に、1713年に出版されたマッテゾンの「新設のオーケストラ」という理論書について授業をしたそうです。どういう形であったのかはわかりませんが、ミツラーは音楽の実践についてはバッハに教わり、理論的な知識はバッハとマッテゾンから得たと言っています。ミツラーの立場は、音楽作品の構造上の枠組の比例関係よりも、旋律と和声に数学が働いているというもので、数学こそが音楽の心であり、魂であると言い切っています。それに対してマッテゾンは、音楽の中での数学の重要性は認めながらも、その役割は、建築の場合の平面図のように外側の輪郭と内側の部分の比例関係を決めることにあって、旋律と和声には関係が無いと言って、1737年から、ほゞ毎年お互いに印刷物によってそれぞれの対立する立場を主張しました。1740年にマッテゾンが出版した「音楽の凱旋門の基礎」という音楽家の人名事典に、バッハは全く資料を出しませんでしたが、ミツラーは、自分の音楽の知識はすべてバッハとマッテゾンに負っている、と書いているそうで、それに対しマッテゾンは、バッハも私も、ミツラーの言うように数学こそが音楽の核心だなどと言ったことは絶対に1度も無いと言明しているということです。

 そして、ゴルトベルク変奏曲が出版されたのが翌1741年。この曲の全体の構成上、数が果している役割はとても多く、何層にもなっているのですが、旋律と和声については、変奏曲という形式上、全く自由というわけにはいかないわけです。一方で構成的にみれば、主題のアリアは32小節で、曲全体でみれば前後両端のアリアと変奏で32、30の変奏は15ずつの2部分にはっきりと分けられ、又、アリアとかパスピエとか名前を付け得るような性格と、2段の鍵盤を必要とする技巧的なもの、それにカノン、とこの3つが1つのグループとなり、それが10つながって30の変奏となるわけですが、最初と最後のグループだけ様子が違っていたり、数の方も整然としていたり、複雑だったり、とても一筋縄では行けない技巧の限りを盡していると言えます。形の上で数(数学)が果たしている役割は超絶的と言えると思います。これはマッテゾンの立場と一致し、又、ゴルトベルク変奏曲作曲の時期がミツラー対マッテゾンの論争の時期とほゞ一致するとみられ得ることから、この曲はカイザーリンク伯爵の不眠症ではなく、ミツラー・マッテゾン論争へのバッハの完璧な答えとみられるというのが、2002年にドルトムントで開かれたバッハ・シンポジウムで発表された、チェンバリストでもある学者ドン・O・フランクリンの説です。これを読むと、バッハは本当は早くから誘われていたのに、14番目まで待っていたのは、本当はミツラーの協会に入るのはあまり気が進まなかったからではないかという気がします。

 フランクリンは更にこの曲について、主題や、各々の変奏の終りの複縦線の上に𝄐というマーク(フェルマータ:音を伸ばしたり、時には終止点を示す。)があるものと無いものが一見不規則に並んでいることを解読して、そこからも数の仕掛けを説明していますが、説明が長くなり過ぎて残念乍ら触れられません。ただ、カイザーリンク伯爵が、外交手腕と音楽だけでなく、科学にも明るく、ロシアに1730年に行き、3年後に王立科学アカデミーの会長になったこと、1747年にドレスデンからベルリンに移ってすぐ王立科学アカデミーの会員に選ばれるなどの経歴から考えると、ドレスデン時代には特にバッハ一家と親しい関係にあったし、ミツラー対マッテゾンの論争にも興味をひかれ、ひょっとしたらその問題についてバッハと話合った可能性もなくはなかろうし、ライプツィヒ大学に入学した息子に会いに行ったついでに、ゴルトベルクをつれて行ってバッハのレッスンを受けさせ、1部分か全部か変奏曲を弾いたことも無いとは云えないかも知れないので、カイザーリンクがゴルトベルク変奏曲の成立と関係が無いとは云えないというのがフランクリンの説です。

 この場をお借りして一言お詫びを申し上げさせていただきます。昨年12月はじめに、私の本当に一寸した不注意からひどく体調を崩してしまい、大勢の方々に大変なご迷惑をおかけしたことを心から反省をしております。本当に申し訳ございませんでした。


小林 道夫




出演者プロフィール


小林道夫(チェンバロ) Michio Kobayashi/Cembalo


 1933年生まれ。東京都立小山台高校を経て、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。その後渡独し、デトモルト音楽大学で研鑽を積む。

 チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者。バロック音楽への造詣が深く、特にバッハのスペシャリストとして、その演奏は最高の評価を得ている。

 1970年に東京藝術大学バッハカンタータクラブの指揮者に迎えられ、後の日本のバッハ演奏の中心的な存在になる演奏家を数多く育てた。

 伴奏ピアニストとしても、フィッシャー=ディースカウ、エルンスト・ヘフリガー、ヘルマン・プライ、アーリーン・オジェー、J-P.ランパル、オーレル・二コレ、ピエール・フルニエ等々、錚々たる世界超一流の演奏家の伴奏を務め、日本のジェラルド・ムーア(世界的な伴奏ピアニスト)と呼ばれるなど、どの演奏家からも高い評価を受け、信頼されている。

 室内楽プログラムも多彩で、長年のキャリアに裏付けられた深い解釈は、世界各地で高く評価されている。

 1956年毎日音楽賞・新人奨励賞、1970年第1回鳥井音楽賞(現サントリー音楽賞)、1972年ザルツブルク国際財団モーツァルテウム記念メダル、1979年モービル音楽賞を受賞。

 東京藝術大学客員教授、大阪芸術大学客員教授を経て、現在、大分県立芸術文化短期大学客員教授。


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