[中止となりました]→詳細はこちらへ
50年連続 第50回 小林道夫チェンバロ演奏会
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲
日時 |
2021年12月24日(金)14時(13時15分開場) |
---|---|
会場 | 東京文化会館小ホール(東京・上野) |
料金 | 全指定席 ¥5,000 |
曲目 | J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲 BWV988 |
[チケット取扱い] ミリオンコンサート協会 TEL.03-3501-5638 ミリオンチケット(オンライン・チケットサービス) ※ミリオンチケットでのお申込みはセブンイレブンでのお引き取り。 チケットぴあ TEL.0570-02-9999(Pコード 202-231) e+(イープラス) https://eplus.jp 東京文化会館チケットサービス TEL.03-5685-0650 [コンサートマネージメント] ミリオンコンサート協会 TEL.03-3501-5638 |
新型コロナウイルス感染症拡大防止のためお客様へのお願い
会場の換気に努め、感染対策を施して開催いたします。
・必ず指定されたお席にご着席ください。
・感染症状のある方、37.5°C以上の熱のある方はご入場いただけません。
・必ずマスクを着用してご来会ください。マスク着用なき場合はご入場いただけません。
・万が一の二次感染に備えて、ご連絡先をお伺いする場合がございます。
・終演後のご面会、プレゼントのお渡し、主催へのお預けは御遠慮願います。
・新型コロナウイルス感染症の拡大により公演が延期、中止となる場合がございます。
中止の場合は、ホール及びミリオンコンサート協会のホームページで発表いたします。
★開催日の感染状況によって、感染症予防対策の水準が変わる可能性がございます。
今後の感染状況によっての変更等につきましては何卒ご了承ください。
半世紀前、ミリオンコンサートの小尾旭さんにお誘いいただいて、それこそ清水の舞台から跳び降りる心境で「ゴルトベルク変奏曲」を弾き始めた頃は、現在のようなタイプのチェンバロは、まだ一般的ではなく、音色の切り換えはペダルを使うので便利であったものの、楽器全体がピアノのようながっちりした枠構造であったために、響が豊かとはとても言えない、いわゆるモダン・チェンバロでした。ドイツ留学で学んだのもそのタイプの楽器で、演奏スタイルも、基本的にはそれ迄ピアノを通じて身につけた演奏スタイルで、それに多少の知識を数少ない参考書籍から補うというような形のものでした。ただ、ペダルと、16フィートと呼ばれるオクターヴ低い音を出すストップを持つおかげで、音色を多彩に変化させることができて、その点は有利でした。
何年かして、昔のように薄い板で作られた箱構造の楽器が主流になり、響が豊かで単独の音色で1つの楽章を弾き通しても退屈することは無いし、2つの隣合った音をつなぐか切るか、長さをどのように処理するかで音楽を生き生きとさせられることを知って、楽器を変えたのですが、最初からそのタイプの楽器で育った多くの若手演奏家達の生気溢れる見事な演奏に煽られ乍ら沢山学ばせてもらい、尚且つ、若い頃からレコードで聴いていたエドヴィン・フィッシャーの平均律、日比谷公会堂で聴いたバックハウスの半音階的幻想曲とフーガ、日生劇場で聴いたカール・リヒターのミサ曲ロ短調の、人間感情のすべてを包みこみ、それを超えてとんでもない高み迄昇っていくような、大きくて、厳しくて、暖かい世界も忘れないようにしたいと思い乍ら、少しずつ増えてきた参考書を頼りに手探りしながら毎年歩いてきて、まだ現在地点あたりでうろうろしている始末なので、本当に冷汗が出ます。
このような私の遅々とした歩みを、毎年本当に沢山の方々が聴きに来て下さいましたが、何度も繰り返してお出かけ下さった方がかなりな数いらっしゃると伺っています。「チェンバロも弾きます。」という私のような人間にとって、とても大きな「プレッシャー」であることは勿論なのですが、同時に想像することも出来ない巨大な「光栄」です。心底、生きていて良かったと思います。想像もできない大きな光栄は、このコンサートを思いつかれ、すべての準備を整えて、毎年演奏することだけに集中させて下さった小尾さんとミリオンコンサートのスタッフの方々にも感じております。
本当に本当にありがとうございました!
小林 道夫
出演者プロフィール
■ 小林道夫(チェンバロ) Michio Kobayashi/Cembalo
1933年生まれ。東京都立小山台高校を経て、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。その後渡独し、デトモルト音楽大学で研鑽を積む。
チェンバロ、ピアノ、室内楽、指揮など活動が多方面にわたる第一人者。バロック音楽への造詣が深く、特にバッハのスペシャリストとして、その演奏は最高の評価を得ている。
1970年に東京藝術大学バッハカンタータクラブの指揮者に迎えられ、後の日本のバッハ演奏の中心的な存在になる演奏家を数多く育てた。
伴奏ピアニストとしても、フィッシャー=ディースカウ、エルンスト・ヘフリガー、ヘルマン・プライ、アーリーン・オジェー、J-P.ランパル、オーレル・二コレ、ピエール・フルニエ等々、錚々たる世界超一流の演奏家の伴奏を務め、日本のジェラルド・ムーア(世界的な伴奏ピアニスト)と呼ばれるなど、どの演奏家からも高い評価を受け、信頼されている。
室内楽プログラムも多彩で、長年のキャリアに裏付けられた深い解釈は、世界各地で高く評価されている。
1956年毎日音楽賞・新人奨励賞、1970年第1回鳥井音楽賞(現サントリー音楽賞)、1972年ザルツブルク国際財団モーツァルテウム記念メダル、1979年モービル音楽賞を受賞。
東京藝術大学客員教授、大阪芸術大学客員教授を経て、現在、大分県立芸術文化短期大学客員教授。