
徳丸聰子ピアノ・リサイタル
日時 |
2017年4月22日(土)14時 |
---|---|
会場 | Hakuju Hall(白寿ホール)(東京・富ヶ谷) |
料金 | 全自由席 ¥4,000 |
曲目 |
ドビュッシー/ベルガマスク組曲 〈前奏曲〉〈メヌエット〉〈月の光〉〈パスピエ〉 ドビュッシー/版画 〈塔〉〈グラナダの夕暮れ〉〈雨の庭〉 ドビュッシー/前奏曲集 第Ⅰ集 1.デルフィの舞姫、2.帆、3.野を渡る風、 4.音と香りは夕暮れの大気に漂う、5.アナカプリの丘、 6.雪の上の足跡、7.西風の見たもの、8.亜麻色の髪の乙女、 9.さえぎられたセレナード、10.沈める寺、 11.パックの踊り、12.ミンストレルズ |
[チケット取扱い] e+(イープラス) http://eplus.jp 東京文化会館チケットサービス TEL.03-5685-0650 CNプレイガイド TEL.0570-08-9990 [マネージメント] ミリオンコンサート協会 TEL.03-3501-5638 |
出演者プロフィール
■徳丸聰子(ピアノ) Satoko Tokumaru/Piano
東京生まれ。ちょうど高校に進学する時に桐朋学園音楽高校が開設されたので、そこに一期生として入学、短大でも一期生として過ごした。ピアノは井口愛子、レオニード・コハンスキ、指揮は齋藤秀雄に学んだ。在学中から演奏活動を始め、軽井沢の現代音楽祭でメシアンの《世の終わりのための四重奏曲》の日本初演など、多くの現代音楽の初演を行った。
卒業後は大学の指揮科に所属していたが、1962年から64年までジュリアード弦楽四重奏団の推薦でジュリアード音楽院に留学し、ピアノをベヴァリッジ・ウェブスター、室内楽をフェリクス・ガリミアの両氏とジュリアード弦楽四重奏団に、また指揮を同音楽院指揮科での最初の女子学生としてジャン・モレル氏に師事した。62年にはタングルウッドの指揮コンクールに入賞して指揮を行い、ピアノのリサイタルは64年にニューヨークで行った。64年に帰国し、桐朋学園のオーケストラの最初の海外公演にピアニストと指揮者として同行し、各地でシェーンベルクの《浄められた夜》を指揮した。
帰国後は桐朋学園に戻り、指揮、演奏解釈、ピアノを教えながら、桐朋学園のオーケストラだけでなく、藤原歌劇団の《カルメン》や東響のベートーヴェン・チクルスなどを指揮した。その後は桐朋学園ピアノ科教授としてピアノに専念し、学内で多くの学生を育てると同時に、NHKの「ピアノのおけいこ」講師を2度にわたって務めた。
今までに日本国内、アメリカ、シンガポール、香港、台湾、イタリア、カナダ、ポーランドなどでピアノ演奏会を開いている。
最近出したCDでは、『フォーレ・ピアノ作品集』(コジマ録音)が『レコード芸術』誌の特選盤に選ばれた。また、『徳丸聰子ショパンを弾く』(コジマ録音)も公刊されている。
■徳丸聰子(ピアノ) Satoko Tokumaru/Piano
東京生まれ。ちょうど高校に進学する時に桐朋学園音楽高校が開設されたので、そこに一期生として入学、短大でも一期生として過ごした。ピアノは井口愛子、レオニード・コハンスキ、指揮は齋藤秀雄に学んだ。在学中から演奏活動を始め、軽井沢の現代音楽祭でメシアンの《世の終わりのための四重奏曲》の日本初演など、多くの現代音楽の初演を行った。
卒業後は大学の指揮科に所属していたが、1962年から64年までジュリアード弦楽四重奏団の推薦でジュリアード音楽院に留学し、ピアノをベヴァリッジ・ウェブスター、室内楽をフェリクス・ガリミアの両氏とジュリアード弦楽四重奏団に、また指揮を同音楽院指揮科での最初の女子学生としてジャン・モレル氏に師事した。62年にはタングルウッドの指揮コンクールに入賞して指揮を行い、ピアノのリサイタルは64年にニューヨークで行った。64年に帰国し、桐朋学園のオーケストラの最初の海外公演にピアニストと指揮者として同行し、各地でシェーンベルクの《浄められた夜》を指揮した。
帰国後は桐朋学園に戻り、指揮、演奏解釈、ピアノを教えながら、桐朋学園のオーケストラだけでなく、藤原歌劇団の《カルメン》や東響のベートーヴェン・チクルスなどを指揮した。その後は桐朋学園ピアノ科教授としてピアノに専念し、学内で多くの学生を育てると同時に、NHKの「ピアノのおけいこ」講師を2度にわたって務めた。
今までに日本国内、アメリカ、シンガポール、香港、台湾、イタリア、カナダ、ポーランドなどでピアノ演奏会を開いている。
最近出したCDでは、『フォーレ・ピアノ作品集』(コジマ録音)が『レコード芸術』誌の特選盤に選ばれた。また、『徳丸聰子ショパンを弾く』(コジマ録音)も公刊されている。